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DJ回顧録(#001)1976年の私は…

萩原誠さんが毎週土曜日に更新している「実録!博多ディスコ物語」がドキュメンタリーで面白いです。ご本人が考えていたこと、エピソードや失敗談など、当時のノンフィクションが満載です。ローカル色が強いというより地域限定&時代限定のスペシャルな記録です。

実録!博多ディスコ物語(https://ameblo.jp/hakatadisco/)

ここまで「実録!博多ディスコ物語」では1976年というキーワードで話題が進んでいます。

では、1976年の私は?

まだ中学3年生でした。朝も昼も夜も休日も、3年間打ち込んだバスケットボールの県大会予選でベンチ入り出来ないというまさかの事態に、世の中の不条理を感じていました。それまでは、スタメンを外されてもベンチ入り出来ないということはありませんでした。その日、私はベンチから外されて、代わりに2年生がベンチ入りしていました。(私はこの状況を「最終裏ベンチ事件」と名付けました)監督の後日談によると、2年生を大舞台に慣れさせて次世代の育成に繋げる為だということでした。よくある話です。

県大会予選は負けました。そして、私は力が抜けました。以後、様々な局面で力が入ることはありませんでした。

バスケット部を引退して高校受験へ向かう状況下でも、勉強に力が入るはずがありません。当時の受験生がするように私も夜中は机に向かっていました。でも、勉強をせずにラジオを聴いていました。そのラジオは、短波も受信するマニアックなラジオでアレが受信できるんです。

アレとは《FEN(Far East Network=極東放送網)》です。世界各地の米軍が駐留する地域に設けられた基地関係者とその家族向けの放送局で、日本での放送は1997年までで《FEN(フェン)》と呼ばれていました。当時、福岡にも雁の巣、春日など、まだ米軍が駐留していたので《FEN(フェン)》が聴けたのです。

リンク(YouTube)は1981年のものですが、だいたいこんな感じです。

日本の1976年のヒット曲は(未だに破られていないシングルレコード売上歴代1位の)「およげたいやきくん」です。しかし、私は《FEN(フェン)》を聴いて洋楽に傾倒していくようになりました。力が抜けてしまっていた私は力が蘇る感じがしました。

1976年のある日、年上の女子数名に誘われて(生まれて初めて)ディスコに連れて行かれました。記憶に残っているのは、西鉄グランドホテル(福岡市中央区天神)の斜め前の地下?「ハニー・ハウス」という店でした。フィリピンバンドが演奏をして、そのバンド演奏の合間に係がレコードをかけるスタイルでした。バンドが演奏する曲もかかるレコードも《FEN(フェン)》で聴いていた曲でした。

この当の興奮は、仲間とバンドを始めるきっかけにもなり、DJを志すきっかけにもなっていると思います。

翌年、高校に進学した私は周りに溶け込もうと努力しましたが、同級生とは向いている方向が違っていました。唯一、バンドのメンバーとその周りとは感覚が合う部分がありましたが、(今ではワイドショーが連日取り上げるような)大問題に巻き込まれて弾き飛ばされてしまいました。

DJとは関係無い内容なので「DJ回顧録」では割愛しますが、高校時代の私は、暴走族→バンド→大問題→ディスコでした。それ以上に「女」だったかもしれません。機会があれば、この濃い高校時代を「DJ回顧録」とは別に記すかもしれませんが、高校時代を完全にすっ飛ばして「DJ回顧録」を次に進めましょう。

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