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DJ回顧録(#003)小倉フェニックス①

日付を忘れてしまいましたが、DJ回顧録(#002)の次の日から念願の「小倉フェニックス」に入店してDJ修行がスタートしました。

小倉フェニックスは、1981年12月04日(金曜日)に北九州市小倉北区紺屋町にオープンした九州最大級の大箱ディスコです。株式会社T.O.G.が管理する土地に聳え立つ三角屋根の建物でネオンとガラスと真鍮(しんちゅう)が派手な印象を放っています。

床面ガラスの下にオフジェを配置した長いエントランスを通ってフロントに向かいます。

奥のバーコーナーを除く店内は、超大型グランド・キャバレー調でステージに降りる緞帳(どんちょう=幕)は小倉流センスの鯉に牡丹、昨夜の発砲事件に驚かないのも頷けます。福岡とはひと味もふた味も違った雰囲気の店で私のDJ修行がスタートしました。

高出力の水冷レーザー光線を装備して照明システムも迫力満点です。写真を見てもわかる通り、高い天井に組まれた常設フレームにはチボリと呼ばれる豆電球がビッシリです。この豆電球が営業中の爆音で振動して(緩んで)落ちてくるのです。ドングリのように拾い集めるのが最初の仕事でした。拾い集めた豆電球を付けることも仕事になりましたが、どうやって付けると思いますか? 答えは… 下からどの部分の豆電球が落ちたのかを確認して、タワーと呼ばれる櫓(やぐら)を組んで登ります。鳶職の足場のようなものの上で豆電球を付けます。2つしか落ちてなくても時間を掛けてタワーを組みます。

面倒なことは全て私の仕事です。昭和は年功序列主義、少しでも早く入社した先輩や出世して役職が上がった上司の指示や言うことは絶対です。芸能界に少しだけ残っているしきたりですが、今では全てがパワハラです。上司がタバコをくわえたら直ぐに火を付けます。そこに灰皿を用意しなければ殴られます。上司がくわえたタバコは、勿論、私が走って買ってきたものです。面倒なことが廻ってくるのは当然です。私はDJになる為に腹を括ってこの修行に参戦したのですから。

小倉フェニックスを運営していたのは「株式会社T.O.G.」という会社で、出店目標100店舗を掲げて急成長を遂げていました。パチンコ屋、ディスコ、キャバレー、居酒屋、ショーパブ、ピンサロ、様々な分野のサービス業に手を広げて従業員数が日々増加していました。定期的に開催される総会に出席する際は、各店の制服やユニフォームで参加するのが規則だったので、隣に並んだピンサロの女子達はスケスケのコスチュームでした。ピラミッド型に組織された会社は、社長のひと言で動きます。私もいつの間にか羽毛布団を売らされましたが、この統率された組織は従業員の家族や知人を巻き込んでネットワークビジネスにも最適でした。今ではブラック中のブラック企業です。変な企業だということには気づいていました。しかし、部長が刺されたというニュースを聞いて、ここは小倉で、私は腹を括ってこの修行に参戦したことを思い出しました。

今となっては絶対に学べない色々なことを教えて頂きました。「DJ回顧録」でありながらDJのことや営業内容には殆ど触れていませんが、「小倉フェニックス」が私のDJ修行のスタートです。

DJ回顧録(#004)小倉フェニックス②
小倉フェニックスでは、部長や店長、上司達にゴリゴリのパワハラモードで鍛え上げられました。これはDISりではなく、...
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