当時(1980年代初頭)DJを目指す者の多くは見習いという手段を選択しました。
理由は以下の3つです。
①情報が無かった
②機材が高価だった
③DJが確立されていなかった
DJそのものが確立されていなかったので、教本などあろうはずがありませんでした。機材も大変高価で、今のように家で練習して何処かで腕試しというわけにはいきませんでした。つまり、DJがいる店(場所)やDJ本人に入門して、観て、訊いて、練習させてもらい、その対価として雑用をこなすスタイル(形態)でした。
情報が民主化される以前、体系が確立されている業種(例えば、演芸・寿司職人・漁師・大工・その他の専門職)に於いても(学校などが無ければ)見習いというシステム(制度)が常識でした。この見習い期間中に適合性や素質を判断されました。この制度は理不尽なことも多く中途挫折者もいました。
私は、小倉フェニックスでDJ見習いを志願しました。その後、福岡フェニックスで毎熊(マイク)正明氏と出逢い、師事することになります。
DJ回顧録(#007)師匠と弟子
私はDJだ!と宣言すれば、今日から貴方はDJです。今はそんな時代です。
しかし、我々がデビューした昭和の時...