DJ回顧録(#011)スリップマット

私がディスコに通いはじめた1970年代中頃から後半、福岡の人達はその場所を踊り場(おどりば)と呼んでいました。バンド演奏の合間にレコードがかかる形態で、レコード担当の人が(プレイヤーを操作して)曲の終わりに言葉を喋って次の曲を出していました。全米のラジオ局で発展したディスク・ジョッキーを模したスタイルでした。DJと呼ばれていました。

暫くするとバンドは去り、曲が終わらない間に次の曲がかかるようになりました。曲の途中で次の曲が頭からぶっ込まれたり、曲のテンポを合わせてゆっくり次の曲に変わる(現在では当たり前となった)ミックスの誕生です。踊る側は足を止めることなくスムーズに選曲を楽しめるようになりました。腕の良いDJは、ぶっ込むフレーズや曲が変わる部分に拘り、実にカッコ良いミックスを聴かせてくれるようになりました。

私はこのスタイルにすっかり魅了されて自分でもやってみたくなりました。そんな好奇心でブースを覗くと、DJがレコードの端を手で止めていました。手を離すと音が出ました。なるほど、次の曲をヘッドホンで聴いて、出したいフレーズを捜すのか。そして(手で止めておいたレコードを)音を出したい時に手を離すのか。

自宅には2台のレコード・プレイヤーがありました。1台はコンポ式のプレイヤーで、もう1台はステレオ一体型のモノでした。私はプレイヤーにレコードを乗せて手で止めてみました。コンポ式のプレイヤーは力を入れないと止まりません。手を離すとフニュ〜と回転をはじめ、フニュ〜と音が出ました。ステレオ一体型の方は簡単に止まるのですが、止めている間キーキーと壊れそうな音がしました。腕組みをして考えましたが答えは出ませんでした。

ある日、私は勇気を出してレコードを手で止めている人に訊いてみました。すると、レコードを手で止めている間も下のプラッター(円盤)は回っていることが判明しました。ほら!と言ってレコードを外して見せてくれると、自宅プレイヤーのような黒いゴムではなく、フェルトが敷いてありました。ベレー帽を切ってプラッターの上に乗せると出来ると教わり、川端商店街の帽子屋が2軒並んだ店のどちらかでベレー帽を買いました。ベレー帽の要らない部分を切って真ん中に穴を開けてプラッターの上に乗せました。プラッターが上手く滑ってレコードは簡単に止まりましたが、手を離すと少しフニュ〜となりました。これは自宅のレコード・プレイヤーの力が弱いせいだと思いました。後日、ターンテーブルと呼ばれているモノの多くはダイレクト・ドライブ方式で力が強く、自宅のレコード・プレイヤーはベルトドライブ方式で力が弱い為だとわかりました。機材が充実した何処かの店に入門してしっかり勉強したいとも思いました。

スリップマットという言葉が既にあったのか?無かったのか?(当時、まだスリップマットとしての製品は無く、暫くはフェルトと呼ばれていたと思います)誰が発明したのか?それとも、同時多発的に使用されだしたのか?その辺は不明ですが、このプラッターは回転しているのにレコードを止めておけるスリップマットは、後に登場するスクラッチやその他のテクニックにも無くてはならない定番アイテムとしてブラッシュアップされていきました。先人達が試行錯誤しながら完成させた手法の数々… もし、誰かがスリップマットを発明したのならDJノーベル賞を授与したいですね。

フェニックス時代はとにかく勉強しました。働きました。面倒なことや苦しいこともウェルカムの姿勢で次々と片付けます。同期...

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