DJ回顧録(#012)師匠のお墨付き

フェニックス時代はとにかく勉強しました。働きました。面倒なことや苦しいこともウェルカムの姿勢で次々と片付けます。同期入社(別部所)の同僚がブツブツ言ってるのを殴り飛ばして進みます。パワハラやモラハラが当たり前の時代に全てを受け入れて進みます。雑用、長時間労働、飛び込み営業、急な出張、宗教絡みのハードな研修、終いには、会社主導のネットワークビジネスまで。会社に都合が良い人材が出来上がるはずですが、それを超えて必要不可欠を目指します。DJとは無関係な仕事までをこなして様々な権利を得ます。

下積みをやっていて良かったとつくづく思います。(アスリートではないですが)アスリート思考が形成されメンタルも体力もこの時期に鍛え上げられました。余裕は誰が作るのか?の答えもこの時期に発見しました。

音楽面でも起きてから寝るまで音楽を貪り聴き、覚え、蓄積します。カッコいい人やお洒落な人のプレイや行動をトレースして、嗜好や遊ぶ場所さえ変えます。全てはDJになる為です。後に多くの人が私の門を叩くことになりましたが、この頃の私と比べてしまったかもしれません。耐えられるのか?それが基準だったのかもしれません。他所で働いてDJだけ習いたいという考えの人は論外でした。

とにかくフェニックス時代は、全力投球の日々を送りました。全てが自信に繋がりました。

そして、師匠の毎熊(マイク)正明氏がフェニックスを去る日が来ました。同時にDJを引退をされるということで、ついて行きようがありませんでした。私は先輩DJ達と現場を盛り上げる意思を固めて師匠の退店セレモニーに列席しました。師匠は、部長、店長、マネージャー、スタッフにコメントを残しました。次はDJの番です。一人一人にコメントして、一番下っ端の私が最後です。この時、全列席者の前で「この男が一番頑張った」「この男が一番伸びた」「何処に出しても恥ずかしくないDJに育った」と仰って頂きました。厳しい言葉しか出てこないはずの師匠の口から意外な言葉が飛び出しました。全てが報われました。

私のDJの師匠は、偶然そこに居た男と自動的に師弟関係となり、お墨付きを与えて去って行きました。そして、そのまま引退してしまいました。

1986年、すっかり見習いではなくなって福岡フェニックスでのDJライフを超満喫していた頃、このブログの「DJ回顧...

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