DJ回顧録(#016)今日からモッちゃん

シニフェに移籍して歓迎会をして頂いた日、出てきたモツ鍋が苦手だと伝えました。

モツ鍋が苦手だった理由は過去の事件がきっかけです。破茶滅茶な高校生だった頃、私の素行を正す為に生活指導の教師達が試行錯誤していました。

ある日、嫌いな体育教師に呼び出された私は、職員室ではなく学校近くの食堂に連れて行かれました。私に近づこうとする体育教師の作戦だったと思います。体育教師は料理をいくつか注文して「何か喋れ」と言いました。何か喋れと言われても話すことはありません。しばらく黙っていると、痺れをきらした体育教師の説教攻撃がはじまりました。

罵声のような説教を浴びる時間をかなり長く感じていると、出来上がった料理がテーブルに並びました。体育教師は「食え」と言いました。モツ料理でした。説教をされながら食べても美味しいはずがないと思いながらも一口食べました。

臭っ!」私はテーブルをバァ〜ンとして出ていきました。食堂を出ると、タバコに火を付けてスカマン(学生ズボン)に片手を突っ込んで歩きました。タバコでモツの臭いが消えイライラも治まりました。この体育教師の作戦失敗とモツの臭さが私をモツ鍋から遠ざけていました。

歓迎会当日の話しに戻ります。しばらくモツ鍋に箸をつけずにいると、萩原氏が「まあそう言わずに食べてみてん」と笑顔で言いました。食べてみました。「旨っ!」最後は残ったモツ鍋のスープにちゃんぽん麺を投入して〆ます。ちゃんぽん麺を美味しく食べている私に、少し酔っ払ったDJキンヤ氏が「モツ鍋嫌いがモツ鍋食った」「モツちゃんぽん食った」と言いました。更に「オ〜ライ!今日からモッちゃん」と大きな声で意味不明の宣言をしました。

それまで下の名前でコウちゃんやコウくんと呼ばれていたので少し違和感を感じましたが、その日を堺にモッちゃんと呼ばれるようになっていきました。私がモッちゃんなのは、モッちゃんと呼んでくれる人達がいるからです。そして、命名したのは(真っ赤なキャロットでお馴染みの)DJキンヤ氏です。これが、私がモッちゃんと呼ばれるようになったホントの理由と経緯です。

前回のDJ回顧録にDJキンヤ氏本人よりコメントを頂きました。「真っ赤なキャロットを見るかい?」と言ってチン◯を出していたDJキンヤ氏のコメントで、当時《真っ赤なイタ車》に乗っていたことを想い出しました。真っ赤なキャロットと真っ赤なフィアットです。

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